<伊豆大島台風26号被災者の会>発足に至るまでの経過説明

 2013年10月、台風26号が引き起こした悪夢のような土砂災害によって、36名の方が犠牲となり、未だに行方不明の方が3名います。神達地区をはじめ、流出した家屋も数多く太陽が昇った16日朝の光景は、まるで爆撃を受けたように悲惨なものでした。
消防団によって、次々に運ばれてくる負傷者やご遺体を、ただ茫然と見送ることしかできなかったことは、生涯忘れることはできないでしょう。

 被災して以降、被災者の多くが日々感じていたことは、行政の対応があまりにも遅いことでした。安否確認に来ない。お見舞いにも来ない。被災の状況の聞き取りにも来ない。象徴的な出来事としては、全国から寄せられた支援物資の配布が被災した日から3週間ほど過ぎてからだったことです。しかも、被災者が何度も掛け合った末のことでした。
また、被災者がさらに行政への不信を深めたのは、職員の対応でした。電話での対応にしろ、直接役所に足を運んでの対応にしろ、被災者をクレーマーのように見下すものでしかありませんでした。

 こうしてむなしく日々が過ぎていき、メディアでも大島のことが取り上げられなくなってくる中、私たち被災者の中で生まれてきた気持ちは、被災者が置き去りにされているということでした。
そして、何よりも私たち被災者を落胆させたのが、これまでに経験したことのない今回の大災害に対して、議会が一つにまとまって対応していくということすらできない、という現実でした。
さらに、12月7日に大島町が主催して行われた“土砂災害に対する説明会”が、追い打ちをかけました。そこで明らかになったことは、大島の多くの場所が危険区域だということと、早めに避難指示・避難勧告をこれからは出していくということだけでした。そこには私たち被災者が知りたいこれからのことは、残念ながら一つもなかったのです。

  <川島町長に直接、被災者の声を聞く会の開催を要望>

 以上のような経緯から、5名の有志の連名で「被災者の声を聞く会」の開催を求める文書をもって、川島町長に面会したのが12月9日のことでした。その結果、12月26日に第1回目の「被災者の声を聞く会」が開催されることに至ったのです。
伊豆大島台風26号被災者の会(略称・被災者の会)は、この第1回目の「被災者の声を聞く会」の開催を準備していく過程の中で、生まれた会です。正式に発足したのは、第1回「被災者の声を聞く会」のなかでのことです。そのため、第1回「被災者の声を聞く会」の主催者は、被災者の会(準備会)となっています。

  <被災者の会が目指していること>

 被災者の会の目指していることは、台風26号が引き起こした土砂災害からの大島町の復興と被災者の生活再建です。この一点を共通の課題として、協力して活動しています。そして、こうした活動を主に担っているのが事務局です。
具体的には、被災者の声を聞く会に向けて、被災者へのアンケートを実施し、それを集約して行政に具体的対応を求めたりしてきました。第1回「被災者の声を聞く会」の後には、その報告を兼ねて会報を発行しました。
また、被災者のところへ直接赴き、聞き取り調査も実施しています。現在困っていることや、町への要望などを細かく聞き取っています。
こうした、被災者の会事務局が行っていることは、本来ならば行政が積極的に行うべきことだと思っています。しかし、行政に期待できない以上、私たちがやっていくしかないのです。

  <これまでの成果>

 以上明らかなように、私たち被災者の会ができることはほんの僅かなことでしかありません。しかし、それでも被災者が個々に要望しても動かなかった行政が、被災者の会としてまとまった声にはその重い腰を動かすことになったのも事実です。
例えば、「いかなる場合でも納税の義務がある」と、被災者に向かって言い放って無慈悲に固定資産税を引き落としていた税務課が、固定資産税の減免を行ったりしたのが好例です。
また、大島町に寄せられた義援金が、①長期避難見舞金②離職等見舞金➂自動車被災見舞金④年末年始見舞金として、配分されたことも成果の一つだと思います。
そのほかでは、仮設住宅への入居の時期を当初の予定通りに3月末までになったことや、復興会議への被災者の参加が認められたことなどが挙げられます。

 私たち被災者の会は、今後も大島町の復興と被災者の生活再建の一助となれるように、地道に歩みを進めていきます。多くの皆さんよりこれまでに寄せられた、温かいご支援に感謝します。そして、これからもご理解とご協力のほどよろしくお願いします。