<被災から一か年の追悼式の日程をめぐって>
―事実経過―
1.昨年の10月16日の被災から10ヵ月ほどが過ぎたころ、「被災から一か年の追悼式が10月16日ではなく10月26日に行われるらしい」との噂話が聞こえ始めました。
2.真偽を確かめるために、被災者の会事務局メンバーが8月26日に町役場に赴きました。そこで明らかになったことは「公式にはまだ発表されてはいませんが、10月26日に追悼式を行う方向ですすめられています」ということでした。
3.8月27日、大島町議会議員の一人にも事務局メンバーが話を聞きました。そこでは、「川島町長から10月26日に追悼式を行う方向で調整している」との説明が議員に対してあったということが確認できました。
4.以上のような経過を経て、8月29日に被災者の会事務局メンバーが川島町長と面談することになりました。
―川島町長との面談―
被災者の会事務局メンバー三名が、8月29日に川島町長と面談しました。被災者の会事務局メンバーは、川島町長に対して、「追悼式を土砂災害が引き起こされた10月16日ではなく10月26日に行う理由の説明を求める」とともに、「10月16日に行うべきではないか」と、日程の変更を要望しました。
「多くの町民が10月16日ではなく10月26日に追悼式を行うのはおかしい」といっていることや、「町民の気持ちが考慮されていない」こと。また、「阪神淡路大震災や東日本大震災での追悼式を見てもわかるように、常識的には発災した当日を外すことはない」ということを話すなどして、「被災からちょうど一年となる10月16日に追悼式を行わないのは問題ではないか」と問いただしました。
しかし、こうした事務局メンバーからの声に対する川島町長からの説明は、納得どころか失望を禁じ得ないものばかりでした。川島町長の結論は「10月26日に追悼式を行う方向で進めてしまっているので、今さら変更することはできない」というものでした。
さらに、事務局メンバーの失望を深めたのは、「それでは、10月16日には町は何をするつもりなのか」との問いに対する答えでした。「サイレンを鳴らして、黙祷をする。献花も行う。」事務局メンバーは、失望を通り越して言葉も出ませんでした。
残念ながら二時間近くに及んだ交渉の甲斐もなく、日程の変更を認めてもらうことはできませんでした。最終的に、事務局メンバーから「せめて、10月16日をサイレンを鳴らして黙祷するというだけではなく、被災から一か年を追悼する日として恥じない日としてほしい」と要望しました。川島町長からは「検討します」という回答しか得られませんでした。
―10月16日の持つ意味の重さ―
追悼式とは、犠牲になられた方々を心から追悼するとともに、二度と今回のような犠牲者を生み出さないことを大島町として内外に誓うために行うものではないでしょうか。それだけではなく、発災直後から救助のために活動してくれた、自衛隊・消防庁・警視庁の方々をはじめ、復興を手助けしてくれたボランティアの方々や、全国各地から支援物資や義援金を送ってくれた方々など、大島に心を寄せて励ましてくれたすべての人々に感謝の気持ちを表すために行うものではないでしょうか。
また、こうした追悼式を通じてこそ、ご遺族の方々や被災者をはじめとした大島町民は、新たな歩みを始めることができるのではないでしょうか。言い換えれば、大島町が一つにまとまり、再出発を期すことができるようになるのではないでしょうか。
追悼式をこうした意味を持つものだと考えるからこそ、10月16日は絶対にはずすことができないと思います。このことは、大島以外の被災地での追悼式の在り方を見ても明らかです。大島町にとって10月16日という日が持つ意味は、黙祷をするだけで済ませられるほど、決して軽いものではないはずです。